• 夜鼓

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    鳥取藩御納戸役小倉彦九郎は、主君と共に参勤交代で在京すること一年二カ月の後、懐しの国許へ向った。彦九郎は江戸での加増を、一刻も早く家で待っている愛妻のお種にしらせようと心をはやらせた。帰国してしばらくたつと、彦九郎は何か周囲の変な様子に感づいた。義兄の政山三五平をたずねるが、妹のおゆらも、義母のお菊も、口を濁して語ろうとしない。彦九郎はそこで伯父の黒川又左衛門のところに行った。又左衛門は苦い顔をしながらお種と鼓師宮地源右衛門の不義密通が、家中に知れわたっていることを告げた。彦九郎は家にもどってお種を激しく詮議したが、彼女の目には一点の影もなかった。何事もなかったという妻の申開きに、彦九郎は安心するのだった。しかし人の噂は一向におさまらない。遂に又左衛門を中心に家族会議を開くことになった。それが終ったあと、問いつめる彦九郎に、お種は語った。彼女の実家での桃祭りの日、源右衛門を招いていた。酒を飲みすぎたお種は、以前から彼女にいい寄っている磯部床右衛門をはねつけた。刃物でおどかす床右衛門の前に屈しかけた時、近づいた人影--源右衛門は現場の口封じと、彼女自身の酒の勢いで彼に身を任してしまった。一晩中お種を責めつづけた彦九郎も、朝になって落着きをとりもどした。妻の過ちを許そうと思いなおしたが、武家社会のしきたりはそうさせなかった。死にたくないと叫び逃げるお種を、彦九郎は後から斬り殺した。京都の堀川--彦九郎が源右衛門の家の前に弟と共に立っていた。不意を衝かれた源右衛門はもろくも討れてしまう。集る群集の中で、彦九郎は「妻仇討ち」の成就を叫んだが、その頬は、何故かゆがんでいた。
  • 日本映画に名を残す名監督の一人と言われている今井正監督による本格派の時代劇で、主演が中村錦之助のこの作品。徳川幕府の治世下、播州脇坂藩竜野城で恒例の武器倉庫点検が行われていた。丁度通りかかった奏者番奥野孫太夫は槍の穂先の曇りをみつけ、皮肉な言葉でなじった。これを聞きとがめた江崎新八は、孫太夫と口論した。無役軽輩から侮辱された孫太夫は、新八に果し状をつきつけたが、結果は孫太夫が斬殺された。私闘と厳禁の掟を破った二人を、新八の兄馬廻り役江崎重兵衛と孫太夫の伯父丹羽伝兵衛は協議の末、乱心しての私闘届け出、新八は城下遠隔の地にある感応寺に預けられた。憤懣やるかたない新八であったが家名尊重のためと言いきかされ、いつか住職光悦との静かな生活は新八の気持を変えていった。一方奥野家では兄を殺されて、家督は継いだものの、弟主馬の心境は怒りにふるえていた。神蔭一刀流免許皆伝の腕をもつ主馬は、兄の仇をとろうと時を待ち、感応寺へ向った。心ならずも相対する新八に主馬は運悪く刀をとられ斬られた。この噂は藩内に広まり、公儀の沙汰として仇討を認めた藩は、奥野家の末弟辰之助に新八を斬らせねばならなかった。家を守るために弟を死に追いやらねばならぬ重兵衛は新八に藩命を告げた。武家の理不尽な掟に心では反抗しながらも、兄の苦衷を察した新八は、太刀の刃引きをして、幼友達辰之助に斬られる覚悟を決めていた。そんな新八を、光悦は他藩へ逃亡して人間として生きるよううながした。城下桔梗ケ原に竹矢来が組まれ、新八と辰之助は当日を迎えた。国家老片貝頼母の合図で仇討は開始された。一瞬、辰之助を間に六人の助太刀が飛び出した。死を覚悟していた新八の心は変わった。死にもの狂いで六人にたちむかった新八は、血みどろで斬りかかっていった。しかし、素手で立ちはだかった重兵衛の姿にとまどうところを、藩士の槍が新八の胸を刺した。夕闇の立ちこめる竹矢来の中に、新八の死骸に重って重兵衛の切腹したむくろが、重っていた。
  • 浊流

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    《浊流》分为三个篇章,分别改编自明治时期日本女作家樋口一叶的三个短篇小说《十三夜》、《除夕》和《浊流》。导演今井正是50年代日本左派电影的代表人物,本片他以女性的命运作为故事的发展主线,细致展示了明治时期市井百姓的生活。
  • とりあえず曽野綾子の原作を、橋田寿賀子が脚本化して、社会派の今井正が監督した女性映画。千坂京子(若尾文子)は売れない女優。ヌードモデルなどをして、その日その日をどうにか過ごしています。しかし、プロダクションの社長(志村喬)と知り合い、その愛人となってからは女優として順風満帆です。しかし、社長が死に、大学教授(船越英二)、プロ野球選手(藤巻潤)、作家(田村高広)などと男性遍歴を続けていく彼女の本当の望みは、幸せな結婚と穏やかな暮らしだけだったのです。そして、ある日、睡眠薬を飲みすぎた彼女の死体が発見されますが……
  • 雪の光の中で、おしんの身に起こった、暗い、甘美な悲劇を通して男と女の間に潜む人間の業の深さを厳しく見つめた話題作。雪深い北陸越後を舞台に人妻おしんの愛と哀しみを描く水上文学の秀作を、女優・佐久間良子と巨匠・今井正監督が描いた名作。伏見大和屋酒造の杜氏は、遠く越後杜氏であった。日支事変の始った昭和十二年、瀬神留吉と佐分権助の二人は、農閑期を利用して出かせぎにきていた。留吉はおとなしい真面目な働き者で、年が明けると杜氏の大将格である船頭に抜擢されることになっていた。権助は評判の美しい嫁をもち、昇進もする留吉をねたんでいた。留吉より一足先に故郷に帰った権助は、留吉の兄伊助から、シベリア時代に女を抱いた話を聞くと、家への帰り道留吉の嫁おしんに慾情をそそられ、火葬場でおしんを犯した。この時からおしんには夫留吉や姑に言えぬ苦しみができた。一方権助は、大和屋で年間を通して一番の働き者と表彰されたが、心ない権助の作り話に、おしんがコモ買人佐藤と関係していると聞かされ、痛飲するようになった。越後では、おしんが、権助の子を身ごもっていた。人の目につくことを恐れたおしんは、日夜子供をおろすことに心をくだいたが、とうとうそのままで夫留吉を迎える日がきた。三月親不知に帰って来た留吉は、佐藤とのことを問い詰めたがおしんの澄んだ目に愚しい疑いを恥じた。夫婦仲は、人がうらやむばかりであった。ある日おしんの妊娠を知った留吉は、大喜びだったが、産婆から妊娠したのは十二月だと知らされた留吉は十二月には、伏見に居り、あの権助が帰郷していたことを思い出した。激しい怒りに身をふるわす留吉。ついに水田で、おしんに問詰めると泥の中におしんを倒していた。近くの炭小屋の中、美しい白ろうのような死顔をみせるおしんを、留吉はいつまでもいとおしんだ。やがておしんの身体を蟻がむしばむ頃、おしんの死体をかまどの中に入れると、留吉は下山した。折りしも出征兵士として送られる権助を見た留吉は、権助をかき抱くと、谷底へと身を投げた。